『ミステリアス・スキン』を観た!【悲痛】

映画『ミステリアス・スキン』のあらすじと感想

よく行く近所のシネコンで見かけたチラシが印象的で目に止まり、YouTubeで予告を観てみた。痛ましい題材と美しい映像のコントラストがどうにも気になり、GWの終わりに映画館へと行って『ミステリアス・スキン』を観てみたのであった。

筆者
筆者

美しくも悲痛な青春物語…!

『ミステリアス・スキン』だいたいこんな話

男児への性的虐待を扱っており、公式サイトには注意事項として「鑑賞されるお客様によっては、フラッシュバックを引き起こすことやショックを受けることが予想されます」と記載されている。

カンザスの田舎町に暮らす二人の少年ニールとブライアンは8歳のときに所属していた野球チームのコーチにより性的虐待を受けてしまう。ニールは幼少から自らのゲイとしてのセクシュアリティを自認しており、コーチからのその行為を特別な愛だと信じてしまう。ブライアンはその数時間の記憶を失い、その後もしばしば気を失い鼻血を流すようになってしまう。

10年が経ち、ニールはあたかも自傷を繰り返すかのように年上の男性に体を売り続け、ブライアンはあの日のことを自分がUFOにアブダクションされたのだと信じつつその自らの記憶を探ろうとしていた。ブライアンは記憶の断片においてあの日一緒にいたチームメイトの存在に気づき、調べる中でついにニールにたどり着き…という話。


スコット・ハイムの同名小説をニュークィアシネマの旗手グレッグ・アラキ監督が映画化した作品である。監督としては初の原作ありの作品となっている。製作自体は2004年であり、20年を経てこの春日本初上映となった。ニールをジョセフ・ゴードン=レヴィットが、ブライアンをブラディ・コーベット(ブルータリストの監督)がそれぞれ演じている。

また性的グルーミング(=搾取される側に、その相手とまるで特別な関係があるかのように思い込ませる環境を、搾取する側が作り出すこと)の手口も知ることができる。斉藤章佳氏がパンフレットへ寄稿しており、そういった加害者臨床に数多く立ち会った専門家からみても、「コーチ」の手口はリアルな描写だったとのこと。またコーチを演じたビル・セイジは実際に幼少の頃に被害に遭っているのだという。

ここらへんの描写は演じる少年たちへも細心の注意をはらい撮影し、編集にて表現されたとのこと。

※パンフレットには以下の著書から一部引用が記載されていた。

『ミステリアス・スキン』感想とか

犠牲者がどうすることもできないその過去の記憶から、それぞれの形で自衛する様があまりに痛ましかった。ニールは「受け入れる」ことを選びコーチの幻影を追うかのように年上男性との関係に明け暮れ、ブライアンは「受け入れない」ことを選び非現実な体験へすり替えていった。対象的に見える二人の青年はともにその深層的に深く傷ついたその傷自体をよく見ることができない状態に無理やり置かれてしまったまま、成長をしていく。その様子から幼少期の性的虐待が心身にもたらす計り知れない負荷や、その被害を明確に認識するのに必要な歳月の長さに戦慄する。

これらには主観的なカットが多く用いられている。二人とともに記憶と向き合う体験をしていくかのようでもあり、観ていてもだいぶ辛いものがこみ上げた。ラストカットの、あの日の現場にてともに支え合う形で過去に向き合う姿には束の間の開放と一縷の望みを感じずにはいられない。

主演二人も素晴らしい演技を見せていたし、ニールの友人ウェンディ(ミシェル・トラクテンバーグ)とエリック(ジェフリー・リコン)らもこれまた良かった。

筆者
筆者

まじでいい奴らすぎる…ああいう声を聞いてくれる人の存在は大きいだろうな

また映像に寄り添うシューゲイザーやアンビエントな音楽も素晴らしい。監督は自らを形成してきたものとして「クィアネス、セクシュアリティ、オルタナティヴ・ミュージック」を挙げており、それらがまさに一体となった映画だったと言える。

筆者
筆者

あまりにつらい物語だったが、それでも観てよかった映画である…!(泣いた)